(コラム13)今こそ素直な心で

おはようございます。トータルケア太陽の中尾です。

昨日、月に一度診させてもらっている女性から大事な心を頂きました。

その方は89歳。6年ほど前に足が動かなくなり、歩けないどころか、じっと立つことさえも出来ない状態になっていました。

当時、ご主人を亡くされて、間もなくの頃で大層、気持ちが落ち込んで、生きる気力の底が尽きたという感じでした。

それでも周りに励まされるのと、私に叱咤激励されて、もともと持っていた根性に火がつき、時間はかかりましたが、今ではすごく元気に動き回れるようになりました。

なんでも10歳年下に妹がいるそうで、先日、その妹が養命酒を持ってきてくれたときに、「これ飲んでまた元気になってから、まだ長生きするようになったら、どげんするね?」と質問すると「元気で長生きする分にはよかろうもん?」そう言われて、素直に受け取りました。

そして、その晩に亡き夫のいる仏壇にそれを持って、一日の挨拶をしたそうです。

妹が持ってきてくれたよ。まだ長生きせやんげなよ?(笑)あんたはよかね?サラッと逝ってしまってから?なら、寝ようかね?おやすみなさいって。

なんでこんな話をしたのかというと、部屋に夕日が射してきた時に、その女性が仏壇の心配をされて「あら?障子を締めてきてなかったね?お父さんがまぶしかろぅたい」って、そうつぶやいたんです。

その一連の話を聞いて、言葉にならないものが僕の中にじわあ~っと込み上げてきました。

亡くなった故人のことをいつまでもそのように思っている。この人が何だか人として愛らしかった。尊い心だなと思ったんです。

戦争の頃からずっと一緒に頑張ってきた連れ合いとの関係性には想像できないほど、色々な想い出が詰まっているだろうと思う。

今のようにSNSで簡単に繋がれて、簡単に途切れることが出来る時代に、これほどの繋がりを保つことは出来るのだろうか?昔は簡単に切れる関係というのではなかったのだろうし、食べるので精一杯だったろうし、世間の目という狭い世界もあったろう。

まあ比べても意味はないから、そんなことはどうでもいいのだけど、その故人を想う心が何とも言えないものだった。

ここで大事なのは決して依存でもないし、慰めを求めているわけでもない。ただ順番にそちらに向かっていったということをただ素直にそれを受け入れているということです。

そして、その亡くなった故人に対して、とても感謝をしているということです。愛し、啓し、敬う心が素直に現れていると感じたのです。

今ほど素直な心の大事なときはない。あなたがあっての私であり、私があってのあなたなのである。素直な心はそこの道理に眼をひらかせてくれる。

あなたがあっての私であり、私があってのあなたなのである。

これが一番大事なんじゃないかな?人は一人で生きているわけではないんだよって。

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