最近、自分の中に起きている変化があります。
それは整体師をやめようかな?ということです。
かと言って、人の健康に携わることを止めるというわけではありません。
ただどうしても整体をしてもらうという前提で私と出会うことで、前提が触ってもらうということになってしまうのが何か違うよな?と私は判断していたからです。
ですが、昨日、2年ぶりに来てくれた方が私に気づかせてくれました。
その方は当時、膝に水が溜まり、動けなくなって、病院を渡り歩いていたのがきっかけで、私のサイトを見てきてくれました。当然、膝の痛みは3か月ほどで完治し、それからしばらくお会いしていませんでした。
久しぶりに来た感じで、あら?っというほどに変化がありました。
何でもある時、寝ている時に手なのか?腕なのか?わからないというか、記憶がないくらいに痛くてたまらなくなり、救急車で運ばれたのが初めで、今は手が痺れて、痛みがあり、強い薬で痛みはある程度、抑えることが出来るけど、握るのもダメで、仕事にならないのが困っている。
病院ではMRIの画像を見せて、狭窄症だと言われているということを訴えていました。
妙なことに今日は足の裏が痛くて、歩けないということです。日によって、あちこち痛みが出ては繰り返している。それは首がやられているから、首から下に症状が出るのだ言います。
これ私の診立てとしては狭窄症ではないと思うんですけど?観たところ明らかに栄養欠乏なんですよね。聞くとまあ偏食のすごいこと。もともと痩せていたのに、久しぶりに診たら、どんどん痩せていっていて、小学生の時の体重になってしまっているそうです。
この方、もともと大腸がんを持っていて、毎年、10個までは行かないけど、ポリープができるということで、毎年、検診しては、切除ということをしているそうです。
おそらくAGEs(終末糖化産物)の過剰発生によるアポトーシスを引き起こしていると思われます。
簡単に言うと、細胞がもうこれ以上は生きていられませんから、一度、死んで、やり直しますという反応が身体のあちこちで起き始めているということです。
この方がこれからどうなるかは、この方のこれからの生活次第ですが、私に会わずに、気づかずに、そのままの生活を送っていたら、おそらくはそう遠くない時期に、この世から去ることになっていただろうと思います。
この方はちょっと変わった職業というか制作作業をされていて、非常に思い込みの強くて、少しあちらの世界に足を踏み入れているような人なので、全く人の意見は聞かない人だとご主人も本人も言われていました。。
ですが、背に腹は代えられずに最後の砦として私を頭に入れていたということで、来院してくれ、素直に聞き入れてくれました。
今、改めて思います。人は自分の出来ることで、人に役に立てることをただやっていく。ただそれだけなんだと。
それからまだまだ私の中にあった、相手をコントロールしていこうとする気持ち。どんな年寄りでも何とか治してあげたいという押しつけがましい思いにも、少し柔和性が出てきたような気がします。
先日、不整脈がある84歳の女性が歩かないといけないですよね?面倒だから、すぐに自転車で買い物に出かけちゃんだけど?と聞かれて
私は自転車でいいんじゃないですか?面倒だからって言われてるけど、本当は歩くと胸が苦しくなって怖いから、自転車で言っているのを後で認識を変えたんじゃないですか?独り暮らしだし、生活するのに重たい荷物が出る買い物もしないといけない、用事がこなせればいいじゃないですか?
善悪論ではなく、全体を俯瞰して診ると、その人にとって、何が必要で、どんな言葉が安心感につながるのか?ってことを考えて伝えていくことは非常に人を診る時には大事なことだと私は思います。まだまだですが。
今はそんな感じで私はやっています。でもやっぱり整体師ではないよな?と思ってもいるわけです。
コメント