生きている間にこそ、親と触れ合う!

こんにちは。トータルケア太陽の中尾です。

先日、私の母親の誕生日に実家に行ったときに、私の父親が服用している薬を紙の上で三等分に分けていたのを見かけました。

その薬の名前はセンナ錠という下剤です。
https://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_otc?japic_code=J0601003211

それをやたらと飲み続けると、自力での蠕動運動が働かなくなるとか、そういうことを言っても聞きはしないものです。

なにさま、何十年もそれを続けてきているのだから、それで別に病気もしないで生きてくれているのだから、それで充分なんじゃないかな?と思っています。

私は父親のお父さん、祖父に会ったことがありません。祖父は52歳でこの世を去りました。当時、父親は21歳で新聞配達をしながら、費用を捻出して、北九州の大学に卒業しました。それから銀行に入ってから退職まで精一杯働いて、私たちを育ててくれました。今はちょうど70歳になりました。

父親は、当時から相当な苦労をしたようですが、多くを語らないのでわからないままです。何せ苗字は途中で変わるし、お金はないし、頼るところもなかったものですから、大変だっただろうと思います。

なかなか親の苦労というものを目の当たりにすることはないものですが、それを別の家族を通して、感じることがありました。

その方は法学部を卒業して、それから会社に入りました。当時はまだまだ男尊女子というか、女性の職場での立場というのは悪くて、その会社でもそれは同じことでした。特に産休というのはあまり認められず、多くて産前産後の2~3か月とかいう環境だったそうです。また介護休暇というのもなかなかとりづらいという風潮でした。

総務という部署に居たその方は法律に詳しかったので、法律を読み込み、職場が働きやすいように経営陣と掛け合って、色々と職場のみんなが働きやすいようにしていきました。今ではそのおかげで育休も産休も介護休暇もその他色々な福利厚生までも整えれることになりました。

ところがある時から、経営陣に疎まれる存在となり、つま弾きされるようになりました。それから段々と心は病んでいき、次第にそれは身体を蝕んでいくことになりました。終には家族から介護されるまでになってしまいました。

その方の家族は、その方の苦労なんて知る由もありません。

何せ働き盛りでそのようなことになり、これからどうしていくのか?何でこんなことになっているのか?情けない父親だというくらいにしか思えなかったようです。

これがそのまま命が亡くなっていたら、それは永遠に闇の中だったのですが、今は奇跡的に回復して、何とか普通に生活をすることが出来ていますので、子どもに自分の親がなぜ?そのような病気になってしまったのか?ということを話て聞かせたのです。

子どもは目を丸くして、知らなかったと驚いていました。

やはり父親というのは自分のしてきたことを口にしないことが多いのかもしれません。それは私の父もきっとそうなんだろう。

あなたは自分の親のことを知ろうとしていますか?

私は偶然なのか?必然なのか?他の家族から偶然、自分の親への気づきを頂いたという話ですが、私も父親が退職するまでは?いや、自分が子どもを抱えて、子育てをしているうちに、自然とそういう想いが湧いてきたものです。

それと私が意識しているのは、病だけを診ていくのではないということにも改めて気づきました。

今回のように父親なんて存在は得てして、馬車馬のように働き、それを生きがいとして、家族にはあまりその重要性を常日頃から感じてもらうことはないことが多いでしょう。

ですから、父親と会話が続かないとか、何か居心地が悪いということもあったりするかもしれません。

今回のように病というきっかけがあっても、なかなかその存在の意義や有難さとか、何よりも自分の父親のことについて知る、理解するということは本当に難しいものです。

私のように自然に時間と共に気づくことがあっても、それはそれでいいでしょうが、今年のように親御さんを見送るたくさんの方を診ていると、やはり早くから、自分の親のことを知り、生きている間に、たくさんの触れ合いをすることが出来たらよかったのに?と思うことがあります。

死んでしまってから気付いても、それは後の祭り。

ありきたりの言葉ですが、生きている間に触れあいましょう!

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